【本場アメリカ仕込み】レッスンプロ今井豊(ABILESGOLFSTUDIO所属)の自己紹介
2024.08.08
本場アメリカ仕込み、鉄人レッスンプロと言われます。
はじめまして、ABILESGOLFSTUDIO所属レッスンプロの今井豊(いまいゆたか)です。
1971年生まれ、静岡県出身の53歳、趣味はゴルフ、特技はゴルフレッスン。
そうです、私はゴルフ以外を知らないゴルフオジサンです。
現在は静岡県島田市のABILESGOLFSTUDIOに所属し、日々レッスンをしております。
私の事を少しでも知っていただき、お客様との交流を深められたらと思い自己紹介をさせていただきます。
私は「30年間無病息災」「年中無休でゴルフの仕事」をしており、鉄人と呼ばれるようになりました。こちらの記事をご覧いただければその理由も知っていただけることになるでしょう。
少しのお時間、ゴルフオジサンの紹介にお付き合いいただければ幸いです。
目次
⑴生い立ち~中学生
静岡県静岡市(旧清水市)に今井家の三男として誕生。父親が医者だったので、不自由なく幼少期を過ごす。教育熱心だった母親の下で、兄たちと一緒に幼いころから本を読んだり勉強することが好きでした。
小中は静岡大学教育学部附属の学校に通い、父親の影響もあり、小さい頃からの夢は必然的に医者を目指していました。
まだこの頃にはゴルフを本格的にスタートしていませんが、父親と一緒に打ちっぱなしへ出かけていたのは記憶にあります。
⑵高校~アメリカへ
医者を本格的を目指すにあたり岡山県にある全国で唯一、医大付属である川崎医科大学附属高等学校へ進学をしました。そこから寮生活のスタートです。
よく「医大付属の高校だから、周りも凄い人だらけで会話の内容も違うでしょ?」と聞かれますが、そんなことはありません。秀才の集まりだったとは思いますが、私を含めて「勉強ができる」と「頭が良い」は全く違います。(笑)会話も思春期の高校生が話す内容ですし、バカなことをして先生に怒られることも多々ありました。
中高はテニス部に所属し、ここではまだゴルフをスタートしていませんが、ゴルフを志すきっかけとなる出来事が高3の時にあります。
それは「大学受験失敗」です。
医大の付属高校なのでほぼ全員エスカレーター式に進学を目指し、当時の内部生の合格率は70%程でしたが、私は不合格でした。
両親に相談をした結果、父の実家のある東京で生活をしながら予備校に通い、浪人生活をすることを選択しました。ここからは必死に勉強し、大学受験合格の為に生活すべてを捧げます。
迎えた2回目の大学受験、川崎医大の他に昭和医大、父の母校である慶應大学医学部の3つ受験する事を選択するも・・・
結果は全て不合格。
人生で大きな挫折と絶望を経験した私はしばらく落ち込みました。静岡の実家に戻り、引きこもりのような生活をしている姿を見た父が、ある日突然「ゴルフと語学留学のためにアメリカへ行きなさい。」と。当時はもう1度受験をしなさい、と言われると思っていましたので衝撃を受けました。
しかし大人になった今、よく考えてみると「お前に医者は向いていない。違う道に進みなさい。」という愛のあるメッセージだったと感じます。
結果的にこの言葉が私の人生を変えることになります。
その当時は「A(青木)O(尾崎)N(中嶋)K(倉本)」の影響で男子ゴルフブームが起きていたのは知っていましたが、私はゴルフにそこまで興味はありませんでした。
しかし父からの一言もあり、いつまでも自堕落な生活をするわけにもいかず、悩んでいる場合ではありません。
そして20歳の時、プロゴルファーを目指すために留学を決断し、いざアメリカへ。
⑶アメリカ留学
父の紹介で、語学留学とゴルフの両立ができる学校に進学。午前中は授業、午後からゴルフという生活の始まりです。朝は早起きをし夜の自由時間も自主練習を行いました。受験で失敗した反省を生かすために、とにかく一心不乱にゴルフに打ち込みました。
順調に成長し、1年目が終わる頃にはゴルフの腕も上達しており、手応えも感じていたのを覚えています。2年目になり、試合に出場して予選通過をするなど、徐々に結果も伴っていた時、運命的な出会いが訪れます。
当時、地元の高校生と交流する制度がありました。その時に私の担当になったのは高校1年の男子生徒「マイク」です。マイクもゴルフをしていて、ベストスコアは85と言っていたのを記憶しています。
授業で語学の交流をした後、いつも通り午後からゴルフの練習をしていると、彼がやってきて「2週間後に大事な大会があるんだ。ベストを尽くすためにレッスンをしてほしい。」と言うのです。
ちょうど私は試合を終えたばかりで直近の予定がなかったので、この願いを承諾しました。ここから2週間、マイクとのレッスンが始まります。
人にゴルフを教える経験がなかったのですが、身体の構造、骨格は人類共通。そこを重点的に伝えていましたが、間違いなく医者を志した経験がここで生きました。
マンツーマンで徹底的にレッスンを行い、迎えた試合。私も現地で観戦しました。なんとそこでマイクはスコア72のパープレーで優勝したんです。その時の彼と彼の両親の笑顔は、今でも脳裏にはっきり焼き付いています。
ふと我に返ると、己の事よりも人が成長した姿を見ている方が嬉しかった自分がいるのに気づきました。その日はなかなか寝つけず、ベットでしばらく考え事をしていました。少し涼しくなり始めた10月、そこで私は大きな決断をします。
「プレーヤーではなく、ティーチングでプロになろう」
次の日、コーチにその旨を伝えると「イマイ、君はまだゴルフを始めて2年だ。ティーチングはもう少し後でも良いんじゃないか?」と言われました。しかし既に私の決意は固まってましたので、最終的には意見を尊重してくれました。そしてここからティーチングの勉強が始まります。
コーチに「有名なティーチングプロを教えてほしい」と相談すると、「ジョー・ティールとデビット・レッド・ベターの理論を聞いたらどうだ」と教えてくれました。
当時は連絡手段が今のように便利ではなかったので、アポも取らずに飛び込みで両者の下へ行き、事情を説明すると快く受け入れていただきました。
レッスンの仕方はもちろん、発言する内容、教えるタイミング、ジェスチャーなど、全てを自分の物にする意気込みで学びました。当時通っていたアメリカの学校は日本と同じ時期に卒業を迎えるので、10月から3月までの期間はティーチングについて没頭しました。
そして遂に日本へ帰国します。
⑷日本~屋外練習場時代~
「レッスンでお客様を喜ばせる」という強い決意の下、人材を募集しているゴルフ練習場を探して就職しました。最初は横浜の屋外練習場だったのですが、結果的に20年勤めることなり、ここでも多くの事を学ぶことができ、レッスンの面白さに更にのめり込んでいきました。
気づくと特別な用事があった日以外、毎日ゴルフ場に勤務していました。何かを意識してた訳ではありませんが、純粋にお客様が喜ぶ姿を見ているのが楽しかったです。
子供からご年配の方まで、そしてプロゴルファーも通う練習場だったので、あらゆるジャンルのお客様の悩み、スイングを研究することで、徐々に自分の中でも理論が確率されてきたのはこの頃からです。
しかし突然「練習場を閉鎖する」という話が出ます。事情を聞くと「設備も老朽化しており、ちょうど土地の買収の話が出ている」との事でした。当時、社長と奥様は高齢でしたので無理もありません。
⑸インドアゴルフ
仕方なく転職活動をしていると、紹介で新たな人物と知り合いました。その方は渋谷でインドアゴルフ練習場を運営しているオーナーであり、ちょうどレッスンができる人材を探していたとの事です。
そして新たなオーナーの下へ転職。オーナーはアメリカへゴルフ留学をしていた事もあり、レッスンの腕前は抜群。そこでも新たな知識を教えていただき、私のレッスンを大きく成長させてくれたことに間違いありません。
オーナーはレッスンについてはもちろんですが、営業やゴルフ練習場運営についても教えていただきました。私はゴルフしかしてなかったのですが「全てがレッスンに繋がり、それがお客様の満足度になる」という事を学び、それを体現すべくここでも毎日働きました。病欠は一切したことがありませんし、何よりオーナーに認めてもらいたい、そして更にレッスンに磨きをかけてお客様に喜んでいただきたいという一心でした。
そして事業を拡大するにあたり、渋谷で3年、横浜で4年、高円寺と小岩で4年と経験を積ませていただきました。
そんなある日、オーナーから「知人が静岡でインドアゴルフ練習場をオープンするから手伝ってほしい」という要望がありました。生まれ育った静岡の地でゴルフができる喜びもありましたので、もちろん快諾。
2023年11月に地元へ帰省。私のABILESGOLFSTUDIOでのレッスン人生が始まり、現在に至ります。
⑹最後に
長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。30年間無病息災、年中無休でゴルフの仕事をしている理由を理解していただけましたでしょうか?
よくお客さまから「毎日仕事するのは辛くないですか?」と聞かれますが、好きな事を仕事にできるているので、全く辛くありませんし毎日がとても楽しいです。
「鉄人レッスンプロ」は最初の屋外練習場の時に3年ほど毎日出勤していたら、常連の方に名付けていただき、徐々に広がって行きました。横浜のインドアゴルフで勤務していた際にも、同じく常連のお客様に「ケガや病気もしないなんて、鉄人ですね。」と言っていただいたことがあります。
しかし、自分ではそう思いません。私は昔から1つのことに集中して継続はできるのですが、2~3個の事を同時に行ったり、周りを見て柔軟に対応したりするのが大変苦手だからです。
時には言葉足らずだったり、目の前のことに集中できずお客様にご迷惑をおかけすることが多々あります。また気配りができなかったりすることで、「レッスン以外はどうしようもない」と言われてしまったこともありました。
そんな私でもこれからも毎日ゴルフに携わり、お客様の笑顔の為に頑張って行きたいと思います。今後とも何卒よろしくお願いいたします。